泣くこと

junction:外国暮らしB-style:恋しいの意味を考えるを読んで思ったことを少し書いてみようと思う。



私は根っからの長女体質で、人前ではよっぽどのことがないと泣けない。

一人でいてもどちらかというと堪えてしまう方だ。

泣かないように、と自分で自分に言い聞かせながら大人になったから、

こうして大人になって、いざ泣きたい、泣こう、と思ったって

そんな簡単には変えられない。

大声をあげて泣く、ということも、殆どない。

人には泣きたいときは泣けばいいんだよ、なんて言うくせに…。

泣く場所はお風呂が一番多いかな。

旦那の前でわんわん泣けるようになるのにもかなりの時間がかかった。

今も躊躇なく泣けるわけではないけど、

受け止めてくれるから大丈夫、と思うことで前よりは「泣く」という行為が自分から遠いものではなくなったような気がするし、そんな隠すほどのことでもないと思えるようにもなった。




jucntionの裕はこう書いてる。



日本の、家族や友達、食べ物や習慣、いろんなものが一気に恋しくなるときがある。

弱ってるときは特に。


ほんとにそう。

これは外国暮らしが10年近くになる私にもある。

私の場合日本という場所そのものが恋しくなることよりも

家族、友達が恋しくなるケースが殆どだけど。



裕はこう続ける。



帰ったって、問題は解決しないのはわかってる。

一時的な現実逃避。


うんうん、そうそう。

弱くなってるときにこういう風に現実逃避しちゃうと

今度現実に帰って来るのが大変だったりする。



何年か前、本当に「現実逃避」のため日本に帰ったことがある。

家族や友達に会えて嬉しかったし、

一時的にでも自分が抱えてる問題を直視しなくて済むのは

なんだかとても心を軽くした。



でもやっぱりそれは一時的なもので、

こちら(現実)へ戻って来たくなくて、

また現実と直面するのが嫌で、

現実に引き戻されて、

結局逃げ回ってたものからも逃げ続けられないわけで…。



でも私は逃げたいときは逃げられるなら逃げたらいいと思う。

例えば日本に逃げ帰る(一時的にでも)としても

飛行機に乗るにはチケットが必要、つまり先立つものが必要になってくる。

仕事をしていれば、いきなり明日から無期限の休暇なんて取れるわけがない。

生きていると沢山のしがらみが人を動きにくくする。



少し話がそれたね。



きっと泣ける方が楽なんだろうな。



泣いたっていい。

沢山泣いて、少し時間が経って、そしたらまたまた歩き出せるから。



数は少ないけど、ほんとに大切な友達がいる。

辛いときは話を聞いてくれたり、黙ってただ側にいてくれる。

私も誰かにとってそういう存在でありたいなぁ、と思う。



forget today. tomorrow is a golden day!

明けない夜はないし、明日は明日の風が吹くんだから。