私の英語の先生

後1ヶ月程ででアメリカ生活10年目に突入する。

もうそんなになるんや?という感じで、結構あっという間やった。

友達に

「人生の約3分の1アメリカで暮らしてたことになるよね」

って言われた。

確かに…。

その内こっちで暮らしてる期間が日本で暮らした期間を超していくねんなぁ、

とちょっとだけ寂しい気持ちになってみたりする。




私がアメリカに来た時、私自身は英語が得意科目だったのもあったし、

英会話にも通ってたし、多少は喋れるつもりでおったんやけど…



思いっきり自分の能力を過信してました(笑)。



全然通じひんし…。



アカンやん。



英語が自然に耳に入るようになるまで半年、

ちゃんと学校でディスカッションに参加したり、

会話のキャッチボールができるようになるまで3年近くかかった。



コミュニティーカレッジに入って2クォーター目、

哲学のクラスを取った。

週2回あったこのクラスは1回の授業が2時間で、

前半1時間は5、6人のグループでするディスカッション、

後半1時間はレクチャーという形やった。



一生懸命課題の分を読んで授業に出る。

グループディスカッションでも拙い英語ながら一生懸命発言しようとした。

でも誰も私の話に耳を貸してはくれなかった。

ちなみに私のいたグループは私以外全員ネイティブで白人。

私が話し始めても無視。

誰も聞いちゃーいねー。



余りにも悔しくて家帰って泣いた。



こうして悟ったことは、ちゃんとした英語を話されへんかったら、

誰も私の言うことに耳も傾けてくれへんねや。

透明人間みたいに扱われるんや、やった…。



いつでもとても建設的な旦那は、泣いてたって何の解決にもならん。

英語教えてあげるから、頑張ろう、と私に言った。



その日から旦那は私の英語の先生になった。



苦手やったRは徹底的に特訓されたし、

Womanは「ウーマン」じゃないことも教えられた。

LとRを間違えずに聞き取れるように何回も色んな単語練習させられたし、

ミッドウエスト特有のbadとかfatとかbagのAの音も何十回も何百回も

鏡の前に立たされて練習させられた。

旦那の口の動きを見て、自分の口をそれにまねて動かすために。

ラジオを聴きながら、後追いもした。

スパルタ教師やったけど、

それがあったから、今の私がおると思う。



うちの旦那は大学で日本語を副専攻してたから、

それなりに日本語喋れる。

けど、私はアメリカにいて、そして英語を学ぶ必要があったから、

私達の会話は95%以上英語、と旦那が決めた。



私を甘やかすことは殆どせず、

一緒に暮らすようになってからは特に

電話の回線を通したり、ケーブルをひいたり、

後長距離電話会社から不当の請求を受けたときも

全部自分で電話かけて、対処するように言われた。

ほんとにほんとにもめて困って助けを求めない限りは

自分でやるように言われてた。



他のアメリカ人・日本人のカップルは

アメリカ人の人がそういうことを請け負ってくれてるとよく耳にしたし、

なんでうちはそうじゃないんやろう?と思ったこともあったけど、

今になって考えてみれば、

かわいい子には旅をさせろ、的な、うちの旦那の気持ちやったんやろうなぁ、って思う。

(単純にそういうめんどくさいことが嫌いなのも多少はあると思うけど(笑))

そうやって必死でやってるうちに、

大抵のことは自分1人で処理できるようになった。



そうやって少しずつ自分の英語力に自信つけていって、

気が付いたら、学校の授業で困ることは殆どなくなってたし、

大学ではほんまに何でも話せるような大切な友達も出来た。



誰かが一番しんどいってわかってるときにその人を突き放すことは難しい。

例えそれがその人の一番ためになることでも。

でもそれを敢えてしてくれた旦那に、

私の頑張りをずっと見ててくれて、

支えてくれた旦那に

ほんま感謝。

あなたのお陰で今の私がいます。